人は1日に何回裸になる機会があるだろう?
シャワーを浴びる時や着替えをする時…そして、愛するあの人と互いの愛を深め合う瞬間。
ちょっと特殊なお仕事をされている方を除いて大体2回か3回とまぁ普通に生活をしていればそう多くはない。
そしてそれはある意味 "裸にならなければいけない" という義務的な要素が大きく加わる。
しかしそれが"義務"ではなく"故意"であったとしたら、裸になるという行為そのものの概念が全く違ったものになる。
そしてそれを故意に求めるマイノリティな人々が集う場所……
「ヌーディストビーチ」
以前、僕の書いた「Ukraine 番外編」でもヌーディストビーチを一度紹介したが、今回は、カナダのバンクーバーにあるヌーディストビーチで出会った人々との"裸"の触れ合いを紹介したい。
その日、僕はそのWreck Beach (ヌーディストビーチ) と呼ばれる場所で1人砂浜に腰掛けていた。
もちろん全裸で!というのは言うまでもない。
もしあなたがこのヌーディストビーチと呼ばれる場所へ訪れたならば今まで感じた事のない感覚を覚えるだろう。
若者から老人まで、男女問わず様々な年代、性別の人達が、神から授かったであろう男女の性を象徴するシンボルを!その奇跡を!
一切の恥じらいもなくお天道様へ晒し合っているその様は、日本の常識から遠くかけ離れた異世界に足を踏み入れた様な感覚を覚えるだろう。
それ故、周りを見渡してみても日本人らしき人種は何処にも見当たらない……と思いきや前方から1人のアジア人男性が "Portrait" (似顔絵) と書いたプレートを持って笑顔で歩いてくる。
いた! 日本人だ!
このバンクーバーのヌーディストビーチは普通の観光目的で訪れる人達も多いのだが、特に文化の全く異なる日本人には刺激が強すぎる為か、あくまで蚊帳の外といった程であり、その中に馴染もうとする日本人などまず見ない。
おそらくこの場所で起こっている裸のオンパレードは一般的な日本人の理解を遥かに超えているからなのだろう。
僕も3年近くカナダのバンクーバーに住んでいるが、未知の何かに出会った時、そこに躊躇なく踏み込む事のできる好奇心と冒険心を持った日本人に未だ出会った事がない。
僕は裸になれ!と言っているわけではない。
ましてやヌーディストビーチだからといって裸にならなければいけないという決まりもない。
裸になるもならないもその人の自由であり人に迷惑をかけなければ何をしていても (セクシャルな行為は恐らく禁止) お咎めを受ける事はない。
何より個人の主義主張は自由でありそれを他人に干渉される筋合いもない。
もしそれが肌に合わなければ無理する必要はないし、馴染めなければ馴染もうとする必要などないのだ。
何となく物見遊山で訪れるのも良い。
試しにヌードになってみるのもまた一興。
もしも、なってみたいけど恥ずかしい……そう思っているとしたら、頑張って裸に挑戦してみると良いだろう。
あなたの性別が何であれ、あなたの裸を気にする人もいなければジロジロと眺めるてくる人もいない。
それどころか不思議な一体感を感じる事だろう。
それはあなたに安心感をもたらし、どこか気を張っていた日常から解放され、同じく裸の人達と心の距離が近くなり、今まで得た事のない充実感があなたを包み込むだろう。
「いや、そんなの別に要らないよ」と冷たく一蹴されそうだが、しかしこればかりは裸になってみないと理解が難しいだろう。
とにかく前途で述べた様に裸になる事を誰からも強要されるわけではないし、なりたい人だけなれば良い。
ただ、僕が強く伝えたい僕の主張。
新しい事へに挑戦、そして自分の未だ知らない何かを知り得た時の喜び。
そこから自分の価値観が大きく変わっていく事の面白さ。
そしてそれは自分の視野の限界をどこまでも広げてくれる。
時にそれは大きな労力や覚悟が必要な場合もある。
辛い時や挫折しそうな時だってあるかもしれない。
だがその先にある "何か" それが自分にとって何ものにも代え難い "経験" という名の宝物になるという事を身を以て知ってしまったのだ。
願わくば、1度でいいから見てみたかった。
そんな自分と似た感覚を持った同種の日本人を。
その先の "何か" を貪欲に追い求める誰かを。
日本に居れば変わり者として見られるであろう日本人をこのバンクーバーで見てみたかった。
そしておそらくこの先、バンクーバーでそれに出逢う事はないだろうとも思っていた。
僕はカナダに日本人の友人が少ない。
カナダへ来た当初は自分の英語力を高める目的で日本人を避けてきた時期もあったが今となっては人種など気にしていない。
日本人であろうが白人であろうが気が合えばそれでいい。
しかし、なかなか出逢わない。
互いに肩を組み、讃えあい「さぁ行こう!」と浪漫に満ち溢れた大海原へ共に Dive できる Nice Guy に!
そんな ROCK な日本人に未だかつて会った事がなかった。
まさかと思った……
こちらへ真っ直ぐ満面の笑みを浮かべて近づいてくる日本人……
ジリジリと夏の強い日差しで焼け切った熱い砂浜を一歩、また一歩と踏みしめながら近づいてくるではないか。
笑顔で!しかも裸で!
日に焼けた浅黒い肌に無精ひげ、ゆるく結わいた纏まりのない長い黒髪が、タダ者ではない威風を放っていた。
それはそれは見事なオイナリさんを携え、威風堂々、胸を張って歩み寄ってくるその姿からは、凡そ普通の日常をおくっているだけでは到底得る事のできない知識と経験を詰め込んだ一角の人物だという出で立ちだった。
同種だ……
僕には分かる。
同類にしか分からない同類だけが持つ感覚。
思わず僕は話しかけた。
いや、話しかけずにはいられなかった。
「日本人ですか?」
彼は笑顔のままゆっくり、そして静かに僕の問いに答えた。
「はい、そうです……」
聞けば彼は、世界中を放浪して周り、行く先々で出会った人々の似顔絵を描いてはそれを自費出版して本にするといった事を生業にしているという。
恐らく彼は自分の訪れた国々で、その土地の日常に溶け込み、何の偏見も持たず、自分自身が見たもの聞いたもの、そして感じたものをありのまま受け入れて来たのだろう。
彼の年齢は31歳。
僕と同世代だ。
何かを悟るというにはまだまだ若過ぎる年齢ではある。
が、彼の放つ神秘的な風格から僕の想像が及ばない程数々の事実を目の当たりにしてきたのだろうと伺える。
僕もかれこれ色々な土地で多くの人達と触れ合い、様々な価値観に触れてきた。
そして恐らく彼は僕以上にその経験と知識を豊富に持っているのだろう。
僕らがこのヌーディストビーチに辿り着くまでに歩んできた経緯は似て非なる。
何より僕と彼の決定的な違い……
それは裸の経験値。
聞けば彼は毎日このヌーディストビーチに訪れているという。
昼から晩まで週7回、1日も欠かす事なく!
つまり膨大な量の時間を彼は裸で過ごしているという事になる。
とんだ裸の大将がいたもんだと思った。
画家の山下清もさすがにここまでではなかっただろう。
しかし初対面でお互いに裸で意気投合したなんておいそれとある話ではない。
これが町の銭湯だったなら未だしも、真昼間のビーチときたもんだから驚いた。
それは無論、彼からしても同じ感想ではあるだろう。
それにしても彼は裸のよく似合う男だった。
裸一つでビーチに佇んでいる彼の絵面は少しの違和感も感じさせないほど自然だった。
裸だったからこそ彼のポテンシャルが余す事なく発揮されていたのかもしれない。
バンクーバーのヌーディストビーチを行く裸の日本人……
きっと彼は明日も、またその次の日も、そのビーチに裸の軌跡を残し続けるのだろう。
そこにヌーディストビーチがある限り……
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